和太鼓は、ヒロのライフワークです。
子供の頃から、打楽器が大好き。小学校の音楽会でも、スネアドラムやマリンバを担当。中学校の吹奏楽部ではドラムスのパート。当時、女子生徒の楽器はフルートやクラリネット、せいぜいサックスと決まっていて、金管楽器やドラムスには県内のどの中学校にも女性部員はいなかったのです。私が長崎県内の中学校吹奏楽部で、最初の女子ドラムス部員となりました。
ずっと和太鼓をやりたかったけど、当時は「太鼓ブーム」も全国各地のアマチュア太鼓チームもほとんどなく、伝統芸能の祭では部外者は入れてもらえず、神社やお寺の太鼓は当然ながら儀式のためのもの。
20代後半で出会った「わらび座」公演の実行委員会ボランティア活動を通して、わらび座などのいくつかのプロ・チームが一般向けの太鼓教室を開催していることを知りました。
機会を待つこと数年、やっと29歳で参加できたのが長野県伊那市の「田楽座」。最初の講座参加で、田楽座に惚れ込んだのです。以来、NZ移住までの20年間、毎年、夏の教室や春の教室に、はるばると長崎から通い続けました。
長崎でも、市民の太鼓チーム「楽鼓」を仲間の皆と作って活動していました。
ポールは、長崎でヒロと出会って、すぐに太鼓の練習にも一緒に参加するようになりました。以来、ずっと一緒にやっています。
2005年のNZ移住に際して、ロトルアでも和太鼓チームを作ることを初めから目指して、大胴3個と締め太鼓2個を海外引っ越し荷物に入れて来ました。
誰も知り合いもない、何のツテもないロトルアで、和太鼓というものを紹介して、チームを立ち上げる。
それが実現できたのが、移住の翌年2006年。
長崎の「楽鼓」の暖簾分けで、「ロトルア楽鼓」。
「楽鼓」(らっこ)とは、”太鼓を楽しむ” ”人生の鼓動を楽しむ”という意味で、ヒロが名付けた名前です。
私たちのNZでの生業全てを総合して「KIWI-RACCO」と名付けています。
以来、素敵な仲間にめぐり合い、たくさんの地元の文化活動に関わる人たちに支えられながら、和太鼓の活動を続けています。
毎週金曜日の夕方、2時間の週例練習。
様々な地域イベントでの演奏。
地域の学校やいろいろな場での太鼓ワークショップなど。
今では、ロトルアの人たちにも、太鼓チームのことはよく知られています。
スーパーの買い物で、レジの人から「あ、taikoの人ね」と言われたりするくらいに……(笑)
アフリカンドラム(ジャンベ)も、長年、惹かれていたものです。
ジャンベを習いたいな〜
自分のジャンベを持ちたいな〜
それが、ある時、突然に実現しました。
ガーナ出身のプロ奏者コーフィーの4日間ワークショップがロトルアで開催され、この機会を逃せるものか!と参加。
以来、コーフィーを講師に招く費用を確保するために、ロトルアにアフリカンドラムのグループを立ち上げ、
毎月の練習をぼちぼち続けながら、時々、プロの講師に教わっています。
初心者ちょっぴり+くらいのレベルですが、大胆不敵に、地域イベントで和太鼓演奏を頼まれるときに、併せてアフリカンドラムの演奏も……人前で演奏することがいちばんのレベルアップの近道です。
観客の皆さんも歌声や膝を打ってリズムを覚えたり、予備のジャンベを打って体験してもらったりと、一緒に楽しんでもらっています。
打楽器は、いちばん原始的な楽器です。
世界中のどの民族も、それぞれの打楽器を暮らしの中に持っています。
誰でも、打楽器で、触れたその時から音を出せます。
そして、それぞれの違う音が一つに響き合うことを、体で感じることができます。
私たちが、今、新たにライフワークとしていることは、
打楽器を通して、心と体を癒す「リズム・セラピー」や、「子どものためのリズム・ワークショップ」です。
私自身が、存在の価値を見つけられない暗闇の中にいた12〜14歳の頃、唯一救われた居場所が吹奏楽部のドラムスのパートで、自分の音が他の音たちと一つになる世界を経験しました。そのおかげで、今生きている、と言ってもいいくらいです。
打楽器の楽しさを通して、心が開かれていく……そんな体験を共有できたらと思っています。