『魏志倭人伝』が語る倭人の入れ墨と風俗/タトゥー文化圏の繋がり
ーー男たちは、皆、顔や体に入れ墨をしている。
人々は、海中に潜って魚やハマグリなどの貝を獲るが、入れ墨は大魚や大きな鳥に襲われないように身を守る意味合いがある。
部族や国(地方)、身分によって、入れ墨の大きさや部位は異なる。
次第に、アート的な飾りの意味合いが強くなってきている。ーー
これは、マオリやパシフィックの人たちの入れ墨の説明ではありません。
今から1800年ほど前、AD3世紀に書かれた歴史書『魏志倭人伝』の中の、倭人(当時の日本人)についての記述です。
『魏志倭人伝』は、日本についての歴史上最古の記録で、「邪馬台国」とその女王・卑弥呼について書かれていることで有名ですね。
邪馬台国までの行程の記述が曖昧・不正確(と見られていて)、邪馬台国がどこにあったのかという大論争の原因になっている書物。でも、当時の日本のことを記録したものが他にほとんどないので、やはり貴重な資料。
ここで、私が注目したいのは、『魏志倭人伝』で描かれている倭人の風俗です。
最初に引用した描写、まるで、マオリやパシフィカ民族についての説明でも、そのまま通じるくらいです。
日本人にとって、入れ墨は、日常的には馴染まないもの。
「入れ墨」と言えば、江戸時代の罪人とかヤーさんのイメージ。銭湯や温泉で「入れ墨お断り」という規則も、こういうアウトローな人たちを一般人と区別するため。
つまり、日本では、入れ墨はものすごく暗いネガティブな扱い。
けれども、私たちの先祖・古代日本人(縄文時代から弥生時代)は、普通に入れ墨をしていたのです。
そして、世界中でも、最も入れ墨が伝統としてステイタスを持って充実しているのは、パシフィカ文化です。
ここでも、古代日本とマオリ・パシフィカ(ポリネシア)が繋がっている。
上の画像は、18世紀に描かれたマオリのチーフの肖像(Wikipediaより)
NZでは、入れ墨 Tatoo(マオリ語で 「タ・モコ」Ta Moko) は、マオリ文化の重要な一部、民族の誇りです。サモア、トンガなどのパシフィカの人たちも、それぞれのtatoo文化と伝統の文様デザインを持っています。
日本の人も、「オールブラックス」の選手が腕や足に入れ墨をしているのを見たこともあると思います。
右の地図は、Zealand Tatooのサイトから。
「ポリネシアン・トライアングル」と呼ばれる、共通のルーツや文化を持つ民族のエリアで、タヒチ辺りを中心に、北はハワイ、東はイースター島、赤道付近のサモア、トンガ、ラロトンガ(クック諸島)、フィジー、そして南に下ってNZのマオリなどが含まれます。
Zealand Tatooサイトは、30年以上のキャリアを持つNZのタトゥー・アーティスが主催しているものですが、マオリ、ポリネシア、そして日本のタトゥーの歴史や特徴などについて、それぞれ、とても充実した解説ページがあります(英文)。
この説明によると、
ーー日本の入れ墨は、BC 10000年くらいの縄文時代まで起源を遡ることができる。
弥生時代(BC3c~AD3c)には、中国人によって、日本人の入れ墨が観察され・記録されている。ーー
(これが『魏志倭人伝』のことを指しているのは、言うまでもありませんね。)
ーー古墳時代(AD4c~AD7c)には、入れ墨はすでにネガティブな扱いになり、以後は、今日の私たちの持つ入れ墨イメージのような「罪人への罰」「奴隷的服従者の身分」「アウトローの印」となって行った。江戸時代以降の約400年間で、アウトローに属するものながら、日本の入れ墨は独特のアート的発展をしてきた。ーー
BBCの番組で、台湾の先住民も、マオリととてもよく似た方法のタトゥー伝統があることから、その繋がりを探るドキュメンタリーがありました。
その繋がりの先に、日本もあります。
下の画像は、(1)(2)マオリのタトゥー (いずれも emozzy.comより)
(3)サモアのtatooの文様例 (4)トンガのtatooの文様例
このように、同じポリネシアンTatoo文化圏でも、それぞれの文様に特徴があります。
マオリの文様が、コル(koru, マオリ語で巨大シダの芽)の唐草模様や渦などの流線的なものが多いのに対し、サモアやトンガは三角(ウロコ模様)や幾何学模様が多いような気がします。
古代日本で、『魏志倭人伝』に記されたAD3世紀よりずっと前の、縄文時代からTatooは重要な文化だったのではないかとも考えられています。
下記のサイトの記事がとても興味深いので、読んでみてください。
「縄文人はタトゥーをしていたか? イレズミで蘇る縄文の思想」
このブログ・シリーズのテーマである古代日本と海洋民、ポリネシア民族とのつながりに関しても、入れ墨文化の観点から、目が開ける点がいくつも出てきます。
この記事に登場する「縄文タトゥー」のプロジェクトを展開している大島 托さんのスタジオ「アポカリフト」のサイトで、各民族のトライバル・タトゥーについて、それぞれ興味深い説明があります。
タトゥーが盛んなポリネシア圏の国々ですら、植民地時代やキリスト教化によってタトゥーが禁止されたり迫害されたりした歴史があり、今ようやくまた伝統文化の一部として復興してきています。
NZでも、私が移住してきた17年前頃(2005年)は、腕・足・胴体などのタトゥーは一般的でも、顔面全体にタトゥーをしているマオリ男性はあまり見かけませんでしたが、この頃はそれも増えてきているような気がします。国会議員でマオリ党の共同代表の一人、ラウィリ・ワイティティさんも、顔全体に見事なタトゥーがあります。
日本の先住民アイヌ族は、女性が口の周りや腕にタトゥーを入れる伝統があります。
マオリ女性も、口から顎にかけて入れるタトゥーの伝統があります。
2020年にジェシンダ・アデーン首相が外相に任命したマオリ女性ナナイア・マフタさんは、顔に先住民の入れ墨を持つ初の外務大臣として、世界的なニュースになりました。
この年の組閣では、副首相のロバートソン財政大臣が同性愛者、女性大臣が半数を超え、民族的・ジェンダー的にNZ史上最も多様なメンバーとなりました。でも、こういうことを話題にしたのは、もっぱら国外のメディアで、NZ国内では極当たり前のように受け止められました。NZでは「多様性」が当然で、先住民文化の尊重も当たり前なのです。
それでも、まだ、「男女平等ではない」「マオリやパシフィカへの差別がある」と主張するムキもあるんですけどね。
民族の誇りと密接な繋がりがあるトライバル・タトゥーの文化。
日本では、古墳時代以降、古代日本人の持っていたタトゥー文化が途切れたか、細って、江戸時代以降の別の独自な(一般の人の暮らしとは別の)タトゥー文化になりました。
ポリネシアンや世界の様々な先住民のトライバル・タトゥーの復興が、民族の誇りを取り戻すことにつながるのと違って、日本のタトゥー文化とアイデンティティーの関係はちょっと複雑。
「日本文化のルーツ」「日本人のアイデンティティー」……
あまりにもいろんな要素が絡んでいて、混乱して、見えなくなっている。
そして、あまりにも「万世一系・天皇神話」に全てを覆われてしまっているかのような先祖=日本神話のイメージ。
そこを、ちょっと、切り拓いていきたい……
タトゥーの参考画像を検索しているうちに、とても素敵なマオリ女性の画像に出会いました。
ウェリントンのテ・パパ国立博物館(Te Papa) の画像をCNNニュースが参考引用していたものですが、大きな目で引き締まったキリリとした顔立ち、顎のタトゥー、草木の冠。
私の中で、「ああ、アマノウズメのイメージ!」と弾けるものがありました。
次回のブログは、また猿田彦に戻って、彼を取り巻く女神たちの考察です。
画像 (1)マオリ女性(CNNが参考引用しているTe Papaの画像)
(2)アイヌ女性のタトゥー(Wikipediaより)
(3)NZ外相 ナナイア・マフタさん (cnn.comより)
(4)マオリ党共同代表 ラウィリ・ワイティティさん(nzheraldより)
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