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マタリキ・昴・勾玉・猿田彦(7)

マオリ・ポリネシア色満載の猿田彦&ウズメ

猿田彦の“道案内”行為について、ここにもマオリとの繋がりがある!と感じたのは、最近、20年以上ぶりに『謎のサルタヒコ』という本を読み直した時です。

 

NZのマオリ族の新年「マタリキ」と古代日本の「昴」信仰との繋がり、そこから翡翠勾玉への繋がり、”魁るもの・導くもの”としての「マタリキ」「昴」と猿田彦神の繋がり。

 

日本神話の神々の中で、最も謎に満ちた存在と言われている猿田彦。彼と対の存在のアマノウズメ。

多くの人たち・研究者たちが、いろいろな説を唱えています。それらを具に検証したり比較したりする意図は私にはありません。

 

「猿田彦」=国つ神(土着の民族の王、リーダー)という見方は、ほぼ定着しているようです。

「猿田彦は南方系の海洋族の王(リーダー)という説も、かなり有力なようです。

その「南方系海洋族」は、マオリやパシフィカ民族と、太い絆がある。

これが私が結んでいきたい視点です。

 

私はNZに暮らし、特にマオリ人口が多く、マオリ文化の濃いロトルアという所に住んでいます。

普段からマオリの人たちや「パシフィカ」(ポリネシアの島々、国々出身の人たちの総称。トンガ、サモア、フィジー、クック諸島=ラロトンガなど))と一緒に地域イベントで交流する機会も多く、その踊りやパフォーマンスに触れることもよくあります。私が和太鼓チームやアフリカンドラムのグループをつくって活動しているので、こういう多民族文化のイベントで一緒になる機会も多いのです。

また、B&B(民宿)経営とゲストのための日本語ガイドツアーも15年以上やってきて、マオリ文化、マオリ伝説、それにまつわる土地などとの接点が多いので、肌感覚で、日本とマオリの繋がりを直感しているとも言えます。

 

「天孫降臨」神話で、自ら天つ神に服従し、道案内を買って出たと表現されている国つ神の猿田彦。

そうだろうか?

外来者に対して立ちはだかっているように見えたこの行為。わたしは、「あ! マオリ族の”チャレンジ”の儀式だ!」と思ったのです。

“チャレンジ”儀式とは、マオリ族が自分たちの“村”(部族の集落)にゲストを迎える時に、まず(砦の)ゲートの前で、一人の偉丈夫が槍やタイアハという武器を構え、威嚇するように進み出てきます。ゲストのリーダーがそれに怯まず、勇気と誠意を示せば、対等の客人として敬意を払って迎え入れるのです。

「天八街」(天地の交差路、あるいは境界)で仁王立ちしていた猿田彦の姿、重なって見えます。

 

この“チャレンジ”儀式は、とても神聖かつ公的なもので、NZでは外国からの重要な来賓などを迎える時も、必ずこのマオリの儀式があります。

 

猿田彦の正体と意図を聞き出すために遣わされたアマノウズメ。「お前はか弱い女だけども、目の力が強いので、あの異形の神の目の力にも太刀打ちできるだろう」というのが、彼女が選ばれた理由です。

ウズメは、「宇受女」と表記されていますが、「鈿女」という表記もあります。

「鈿」は「青貝(あおがい)」とも呼ばれるアワビのことです。

アワビ(マオリ語でパウア)が、グリーンストーンで並んでマオリの2大神秘パワーの宝であることは、前のブログで触れました。そして、マオリの神々の木彫り彫刻には、必ず目にパウアがはめ込まれています。

 

NZでマオリのカパハカ(歌と踊り)の実演を見たら、男性も女性も、時々ぎょろりと目を剥く表情をします。

とても綺麗な女性の踊り手が突然ギョロリと目が大きくなるので、びっくりします。マオリの人たちの目の周りの筋肉って、どうなっているのかな?と、いつも不思議がり、感心して見ています。

 

猿田彦の「目力」、アマノウズメの「目力」、実は同じ民族出身だったのではないかな?

ウズメは「鈿女」より「鈿目」の方が本当の姿にふさわしい気がします。

 

ウズメは、目力だけでなく、衣類の紐を腰の辺りまで下ろして、性的魅力を振りまいて、猿田彦を籠絡したことになっています。

この行為は、「天孫降臨」のエピソードより前の「アマテラスの岩戸隠れ」のエピソードでも、岩戸の外でウズメが踊り、神々が円座になって打ち囃す場面に共通していて、ウズメは「日本最古の踊り子」などと位置付けられ、「技芸の女神」に位置付けられるようになりました。

この「ご利益信仰」としての神道については、別に触れることにします。

 

ここで注目したいのは、ウズメの衣装を腰まで下ろして舞う姿や行為を、エロティックな神懸かり的ダンスと捉えるのがほぼ通説だけど、それは現代の日本人的視点や中国(大陸)系文化の影響下の視点で考えるからで、私には、ごく単純に、この踊りがとても南洋的で、パシフィックの島々の舞踊をストレートに連想させるのです。

そして、もちろん、ポリネシアから日本まで共通の陽根信仰・女陰信仰は、実におおらかで根源的な民族繁栄の基盤だったわけで、猿田彦の長く突き出た鼻が陽根のシンボル、鈿女(目)=青貝=女陰のシンボルに繋がっていることは間違いないでしょう。

 

下の画像:(1)鈿(青貝)=アワビ(マオリ語 パウア) 

(2)パウアを神々の目に嵌め込んだマオリの彫刻 

(3)パシフィカの踊りの一例(クック諸島のグループ、ロトルアでのイベントで) ここでは上半身はTシャツを着ていますが、本来は胸当てのみか、昔は上半身裸体も普通だったことでしょう。軽快な打楽器のリズムに合わせて、動きの激しいセクシーな魅力いっぱい、とても解放的な踊り。

「天つ神」一行とは、稲作文化を伴って大陸から渡来してきた新入り民族。

「国つ神」とは、縄文時代から日本に住み着いていた先住民族。

その縄文・先住民族には、氷河期の終わる前に日本がまだ大陸と地続きであった頃(日本海がまだ巨大な湖=内海)であった頃に、大陸から移動して来たルーツを持つ人たちと、海流を利用して南洋から北上してきた海洋民族とが混在していたと思われます。

 

猿田彦に関わるエピソードが暖流に沿って分散していることは、彼が海洋民族のリーダー(リーダーたち)を象徴していることを示しています。

渡来民族であるニニギ一行は、移住しようとする土地の先住民について、当然リサーチをしていたはずで、水先案内や通訳・交渉のために同民族出身者を一行の中に含んでいた、それがウズメであった。これが私の仮説です。

 

「天孫降臨」では、猿田彦がニニギ一行を高千穂峯まで案内した後、ニニギがウズメに「お前が彼の名を明らかにしたのだから、夫婦となって、猿女と名乗りなさい」と命じたことになっています。

もし、ウズメが猿田彦と同民族だったら、2人は一瞬にしてそれを悟ったでしょう。

そして、ごく自然に一緒に暮らすようになったのであって、ニニギの命令でというのはおこがましい気がします。

同族だからこそ、その後ずっと睦まじく連れ添い、日向から伊勢に移って、猿田彦は伊勢の海で最期を迎える。

 

その猿田彦の最期、翻って誕生のエピソード、猿田彦を取り巻く女神たち。そこに「海神」としての猿田彦の姿も見えてきます。それは、また、この後のブログで。

 

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